私が開院した理由

・私のご縁のある人や本当に身近で大好きな人の痛みや苦しみを取る事で、笑顔になり、喜んで頂きたい!
・「良くなった!」「助かった!」といううれしい声を聞きたい!
・痛みや苦しみで困っている方の少しでも役に立ちたい!
これが私の本当の開業の理由です。

私は、小学校1年生の時の文集に
「将来の夢は、ばあちゃんの腰を治すお医者さんになる事です」
と書いていました。私は、ばあちゃん子であり、ばあちゃんが大好きでした。
ばあちゃんは、とても頑張り屋で、弱音を吐いた事が殆どない気丈な女性でした。
毎日のように腰と肩が痛くて、トクホンや湿布などの貼り薬を使っていましたし、
近くの斎藤医院の大先生から腰と肩に痛み止めの注射を打ってもらっていました。

常にその姿を目にして、頑張り屋のばあちゃんを助ける為に、少しでも良く、楽にできる方法は?
そうだ!お医者さんになれば助けられる!と云う事で子供心に医師を志しました。
お医者さんの中でも『整形外科』のお医者さんなる事が夢でした。

お医者さんになるには、医学部合格し、6年間勉強した上で国家資格合格と云う
超難関である大関門が私の前に立ちはだかりました。

勉強不足もあったと思いますが、
その大関門は突破できませんでした。( ;∀;)

しかし、ご縁があり天職とも言える『施術家』の道に進むことが出来ました。

遠縁にあたる山形県天童市のカイロプラクティク出身の素晴らしい先生の元、
貴重な4年半という月日を施術だけでなく、患者さん対応や経営学、
そして、人としての礼儀や人生の勉強も合わせてさせて頂きました。

修行時代は、御金では代え難い貴重な体験や生きた勉強をさせて頂きました。
その上、自分の身分相応以上の御金も頂いておりました。
本当にありがたく思っています。

当時は、バブルの絶頂期でした。
仲の良い友人や同級生は、4~5百万円の高級車に乗っている人もいました。
当然ですが、私は、中古の軽自動車(スバルレックスコンビの赤)で通勤しておりました

その様な状況でも、自分の夢である
「ばあちゃんの様に苦しんでいる人を助ける人=施術家になりたい!」
という想いがあった為に、いろいろなことに対しても我慢薬篭と考えずに出来た様な気がします。
その事が今に大いに活かされ、私の基盤(ベース)になっております。

そして、お世話になった先生のお陰で、
26歳の時に開院させて頂きました。

平成6年6月の時点で、
私の地元の河北町だけでなく、寒河江市、朝日町、大江町、西川町でも
実費の施術(保険を使わない施術)を行う施術院や治療院は、1件もありませんでした。

いまは、笑い話ですが、
周りの方々は、「直ぐ廃業するに決まっている!」
と思っていたそうです。(実は、両親もそう思っていました)

ここまで続けられたのは、
とても温かく、時には厳しく御指導頂いた師匠や学ばせて頂いた主義や療法の先生方、
私のところに来院して頂いた患者さんや地域の皆様、
そして、愛妻、子供、両親、兄弟などの家族の絶大な協力のお陰です。

整体院は、患者さんに来院して頂かないと成り立たない所です。
いくら自分の技術が上手い、自信があると訴えた所で判断されるのは、
来院された患者さんです。

ですから、26歳の世間知らずの若造がここまで続けてこられたのは、
中村守を信用して来院した頂いた方、
そして、よくなる整体院を御紹介した頂いた方々のお陰だと思っています。

本当にそれしか考えられません。
最後になりましたが、
天国のばあちゃんのお陰は、勿論あります。(忘れていません)

私は、平成6年6月27日に開業した時の初心を忘れず
「ばあちゃんの様に痛みなどで苦しんでいる人を助けたい!」
という変わらぬ想いで、
毎日の施術に励んでおります。

毎日、今を大切に全力で施術をさせて頂いております。

私が現役のうちは、
来院された方(お一人お一人)との御縁を
「一期一会に大感謝」の気持ちで大切します。
決して忘れません。

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